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講師デビュー☆プロジェクト

7期生チャリティーセミナー報告記

11/10(土)にセミナー講師デビュー☆プロジェクト7期生の卒業記念チャリティセミナーを開催しました。
おかげさまで大勢の方にご参加いただき、大盛況でした。
ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。
ご予定があり、ご来場いただけなかった方からも「せめて寄付だけでもさせてください」と
ありがたいお言葉をいただきました。
みなさまからお預かりさせていただきました受講費は諸経費を除き、義援金として赤十字、
及び「ひろきくんを救う会」に寄付致しましたので、ここにご報告させていただきます。

参加者(発表者、関係者すべて含む)  32名
来場できなかったけど寄付いただいた方  4名

集まったお金 39口×2,000円=78,000円
会場費            △10,000円
収支              68,000円

45,000円を日本赤十字 東日本大震災に
23,000円をひろきくんを救う会に寄付いたしました♪
心臓病のひろきくんを応援しています!
早く手術が受けられて、元気になれますように。
http://hiroki-sukuu.com/

7期生チャリティーセミナー報告記



           7期生チャリティーセミナー報告記
    「セミナー講師デビュー☆プロジェクト」卒業生チームによる
                
             チャリティーセミナー

     『あなたが生きた証を忘れない。命のリレー・家族の絆』

           7期生チャリティーセミナー報告記


7期生チャリティーセミナー報告記

卒業記念チャリティセミナーの様子を、4期卒業生でもあり、元日本経済新聞記者の
鈴木淑美さんがレポートしてくれました。







・・・(取材・文 鈴木淑美)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

口角の貴公子 藤田善行さん
7期生チャリティーセミナー報告記
今回MCを担当した藤田さん。声のよさは折り紙つき(声を聴くと、女性が皆ほれぼれと振り向くというエピソードがあったようななかったような。(笑))
ふだんから場の空気を読み、こまやかな気遣いをする人なので、MCは適任だと思っていたが、彼のMCとしての才能はそれだけではなかった。

まず、表情からにじみでるホスピタリティ。来場者がこころよくこの時間をすごせるように、陰での努力が伝わってきた。
登場するメンバーのことを思い、話しやすい状況を作ろうとする心配りはさすが。
機転がきくのも才能だが、あくまで黒衣に徹して(なのに存在感はピカイチ)粛々とミッションを遂行しているところ、たいへんな素質があると感じた。

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〈プレゼン〉の可能性を広げたビジネスプレゼンの第一人者 新名史典さん
7期生チャリティーセミナー報告記
7期生の頼れる兄弟子であり、入門時からその成長を身近で見守り、ささえてきた。この日は「思い入れの強い大事なネタ」をおしげなく初披露。
新名さんにとって自然環境の研究者としての自分(20年前の環境調査時のモノクロ写真も!)、サラヤ社員として自然環境問題にかかわってきた自分を総決算するかのような熱いプレゼン。スマートな語りはそのままに、いつになくストレートな切り口で聴く人の胸に迫っていく。

テーマは「自然環境の保全と人の命は相反するのか?」人命を守るための護岸工事は自然環境を破壊するものとなる。はたして、それでいいのか。新名さんは若き研究者としてずっと悶々と悩み続けてきたという。そして自然環境に関心があるメーカー、サラヤに入社。自然環境を研究する大学院生・研究者にとってメーカーはいわば「敵」。思い切った決断であった。
サラヤの看板商品のひとつが「ヤシノミ洗剤」。環境にやさしい、と主婦たちに支持されている。しかしその裏にはひとつ大きな落とし穴があった。熱帯雨林を伐採しての大型プランテーション建設である。TV番組で取り上げられたことを契機に、サラヤは環境トラストを創設、プランテーションを買い上げ保護区域を広げる運動をはじめた。自然環境保全についてはこれで道筋がみえてきたと思われたが、じつはプランテーションにはもうひとつ見逃せない問題があった。子どもの労働力が不当に搾取されているという事実である。貧しい集落の子どもたちが安い賃金で過酷な労働をしいられ、逃亡したものはつかまって手足を切り落とされることもある。
この事実にたいして、パーム油産業にかかわる企業(メーカー、貿易、小売、銀行など)が設立したのがRSPO(Roundtable on Sustainable Palm Oil、持続可能なパーム油のための円卓会議)である。適正な労働環境、適正レベルでの農地開拓などをかかげたRSPOの基準にかなった製品にはRSPO認証が付される。
RSPO認証を与えられた製品を用いることは、自然環境を守るとともに子どもたちの暮らしを守ることにつながる。いいかえれば、オランウータンを守る運動がここで子どもの生活を守る運動と=で結ばれるのである。

最後に、新名さんは父上(植物バイオテクノロジー研究者、新名惇彦氏)がよく講演で話される言葉を引用した。薬師寺は1300年前に建てられた。当時の日本人の暮らしはきわめて質素であったはずだが、彼らが建てたものはいまもなお残っている。ひるがえって、現在の日本は当時とは比べ物にならないくらい豊かである、が、いま私たちが1300年後に残るものを作れるだろうか。
新名さんはこの問いにこう答えてセミナーを締めくくった。「1300年後は無理でも、自分たちが次の次の・・・次の世代の子どもたちのために安全な環境をつくることはできるはず。未来の子どもたちに適正な環境を提供することは、いまの大人の使命です」。
東日本大震災直後に4期が開催したチャリティーセミナーでのキーワード「私たちは微力ではあるけれど無力ではありません」をいまいちど思い起こさせ、会場の心をひとつにしてセミナーは終了した。

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子どもの「乗り越え力」を引き出す 小学校教育のスペシャリスト 水野まさこさん
7期生チャリティーセミナー報告記
長年小学校教育の現場に身を置いてきた。だからだろうか、泣かせたり笑わせたり、変幻自在に場の空気を変える。のっけから「私、まさこさまって呼ばれています。気に入ってます!」と笑いをとり、会場の心をわしづかみにした。

テーマは「危機をはねのける子育て」。子どもにとっての「危機」とは「いじめ、不登校、受験失敗、親の離婚、ストレス」など。どの子どもにも無縁ではない。そうした危機に直面したとき、子どもが「自分で」乗り越える力をつけるためにどうしたらいいか。水野さんの答えはきわめて具体的である。「じしん、いまべん、かじ、いくめん」。ひとつひとつの項目について小気味よいテンポで解説していく。

じしん=自信。自分がわかっていること。
それにはほめてはいけないらしい。それはどうして? 水野さんの説明で、また爆笑の渦に。
いまべん=居間勉(居間で勉強する)。親とテキトーな距離を持つこと。ここでも意外な話が。「勉強を教えてはいけない」ってどうしてですか水野さん!
これもなるほどの理由があるんです。
かじ=家事。お手伝いじゃなくて家事。この違いがポイント!
いくめん=育メン。パパやじいじ、母親以外の存在が大事。でもただ可愛がるのではダメ。ひとつ大事なことをしてもらいましょう。

キャリアに裏打ちされた自信が声の力強さにあらわれ、聴いている側が心地よく安心できる。同時に、子どもが好きで、子どものひとりひとりの成長を何よりも喜ぶその人となりが言葉のはしばしからにじみ出る。パワフルな語り口とあたたかな表情のバランスが魅力的。

現在子育てに悩むママさんはもちろんのこと、ご自身がいうように、まだ子どもは先・・と思うプレパパ、プレママにも受けてほしいセミナーである。数年後に訪れるお子さんへの思いがさらに深まることだろう。子どものいない私がセミナーを聴いて「子育てしてみたい!」と思ったのははじめてだった。

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優しい。だけじゃない。
「やりなおしたい」少年のために行動する弁護士 中西優一郎さん

7期生チャリティーセミナー報告記
中西さんの弁護士活動は企業がメイン。だが、事件を起こした少年の弁護に積極的に取り組んでいる。「更生のスピードが速いからです」と中西さん。少年の場合は環境を変えることで、どんどんいいほうに変わっていくという。現実には少年犯罪に対して「大人と同じレベルの罰を与えるべき」と考える人も少なくないが、そんななかあえて少年たちの更生に力をいれるのはなぜか。中西さんの思いが語られる。

そもそも少年事件とは? 大人たちの事件とはどう違うのか。中西さんはまずそこから丁寧に説明する。大人が起こした事件であれば、とうぜん裁判は「どんな刑罰を与えるか」が重要。しかし少年事件の場合、「どうしたら立ち直れるか」を考えることが目的となっている。少年はこれからいくらでもかわれる、という視点に立って考えられているのだ。
少年事件の審判の様子など、ふだんドラマを見てイメージしているものとは違っていて、「へぇ~!」の声が上がった。

続けて中西さんは自身の経験を語る。あるとき弁護を担当したのが強盗致傷でつかまった高校三年生の男子(路上で主婦を殴って財布を奪った。主婦は一か月入院)。警察ではじめて面会したときは「いかにもワル」といった風貌で大人への不信感をあらわにしていた。その彼とどうやって信頼関係を築いていったか。中西さんの語りは淡々としていて大げさな演出とは無縁だが、「事実」のもつ迫力にみなひきこまれていった。
やがて少年は中西さんに心を開き、自分のしたことを考えるようになる。みずから「自分でやりました」というときがやってきた。その後の彼の変化はめざましく、いまは大学に在学中という。彼から届いた手紙に「つかまってよかった」とさえ記されていた。今回の事件で親が心配していることもわかった、と。

これは見事に更生したケースであるが、毎回うまくいくわけではない。更生には学校・友人関係を改善することと、家庭環境を改善することの両方が必要。難しいのは家庭環境のほうであり、複雑な要因がからんでくる。とはいえ、ひとりでも多くの少年がやり直すために、今後も力を尽くしていく――と中西さんは話をしめくくった。

中西さんの言葉が真面目で、ひとつひとつ考え抜かれた印象があるのは仕事柄だろうか。難しい専門用語は控えるものの、しかし必要以上にやさしくかみくだくことも、面白おかしく話を盛りあげることもない。弁護士としての姿勢をかいまみるようなセミナーだった。

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黒服の禁煙宣教師 高橋幸男さん
7期生チャリティーセミナー報告記
高橋さんは人呼んで「只者でない薬剤師」。少年自衛官として航空隊に所属し、飛行機に乗っていた。その後地上に降りて実家の線香店を継ぎ、また薬剤師として喫煙の害について精力的に講師活動をしている。しかも音楽が好きでライブが好きで、NHKのどじまんにも参加するというからやっぱり「只者ではない」。

じつは今回のセミナー、高橋さんの出番になって冒頭から過酷な状況におかれていた。PCの不具合で、パワーポイントの資料がまったく使えないというピンチに見舞われたのだ。(しかも卒業記念のチャリティーセミナーという晴れ舞台で!)
担当メンバーと悪戦苦闘するなか、時間だけが過ぎていく。10秒、20秒が10分、20分に思えたのではないだろうか。どうする高橋さん!

ここで「只者でない」高橋さんの真骨頂が発揮された。パッと頭を切り替えて「さあ体操しましょう~!」と大声で号令をかける。「両手を上げて~!こめかみに手を!そうです!はい、それから~」 一同、瞬間で高橋ワールドにひきこまれ、体操の最後、気がついたら隣の人と手をつないでいた(笑)。

セミナーのメインは「メタボにならないための3つのポイント」。高橋さんにとって大事な、かつ得意なテーマとみえ、身振り手振りでユーモアを交えながら語る様子は、これが今日昨日の知識でないことを感じさせる。

高橋さんのユーモアは、受けをねらって高度に仕組まれた笑いなのか、その逆で単なる思いつきなのか、あるいはまったく意識していない「たくまざる笑い」なのかよくわからない。わからないところが面白く、くせになる。

メインの話以外にも、じつは大事な「知恵」がそこかしこに埋め込まれた「只者でないサービス」も魅力。それはぜひ、ご自身でセミナーに参加して確かめていただきたい。

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リーダーシップは〈スマートエイジング〉から。
老化をタブーにしないIT社長 岩尾徳一郎さん

7期生チャリティーセミナー報告記
岩尾徳一郎さん。この10月31日で古希を迎えた。いまでこそ70歳は珍しくもないが、70歳で現役で、しかも若さが圧倒的に尊重されそうな(外部から見て)IT業界の社長で、毎週のように精力的に講演会やセミナーを開催していて――となると、どうだろう。
岩尾さんは、おどろくほど若い。しかしそれは「いや、普通の生活ですよ」という偶然の結果ではなく、あるいは「もとから健康オタクで」というようなマニアックな犠牲の結果でもなく、ある信念にもとづく自制のたまものだった。

岩尾さんが健康の大事さを痛感したのは、数年前、経営者仲間の友人二人が亡くなったとき。それぞれすぐれた経営センスをもつ社長で、会社も順調であったが、社長の他界後、会社はなくなり、従業員は路頭に迷うこととなった。その様子を見て、岩尾さんは思った。健康であることは経営者としての責任なのだ、と。

元来几帳面な性格の岩尾さん、「健康であるにはどうしたらいいか」と真正面から取り組むようになる。「健康とは、健康な身体と健康な心の二つが必要」。
さらに健康な身体と健康な心を保つために、習慣として次の三つを心がけているという。「健康的な食事」「健康的な身体づくり」「健康的な心を作る」。

正直言って、「目からうろこ!」という話ではない。習慣のひとつひとつは参加者のみなさんもどこかで聞いたことがあるはずだ。
ところが、日々の実践によって「人生のなかで、いまがいちばん健康です」といいきられると、「やっぱり日々の積み重ねが大事なんだ」と納得させられる。
また、そこに講師自身の意志の強さを感じ、経営者としての歩みの高さを感じたのは私だけではあるまい。

セミナーの最後、岩尾さんは「スマートエイジング」の理想を語り、「年齢ではありません。健康は自分で作るものです」と締めくくった。

経営のリーダーシップにとって「健康」は必要な要素であり、何にもかえがたい。経営者が健康であってこそ、企業は安定する。企業としてのバトンも確実に次世代に受け継がれていく。

〈自分のためだけではない、経営者責任としての健康〉。岩尾さんにはこれからも多くの場で語っていただくことを望みたい。

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高齢者の「自分らしく生きる」と向き合う〈看護師で社長〉 田中知世子さん
7期生チャリティーセミナー報告記
キャリアShuka セミナー講師デビュー☆プロジェクト7期卒業生メンバーによるチャリティーセミナーのトリは、介護の現場で多くの「死」を見てきた看護師、田中さん。看護師でありながら、いや、看護師だからこその思いと知識が詰まった訪問介護ステーション、デイサービスを経営している。

田中さんが看護師をめざしたのは29歳。子育てしながら看護師学校に通った。卒業後、精神科精神病棟に配属され、以来、「命のバトンが渡される場面」に何度となく立ちあうこととなる。命の連続のなか、「命って何だろう」とずっと考えてきた。

老人病棟では、「食べなければ死ねる」とみずから食を断って死んでいった人もいた。処置をこばんで亡くなった人もいた。ガン末期を在宅のままひとりで耐え、逝った人もいた。
田中さんは「死」に対面するたびに思うという。「この人は、自分の人生にOKを出せただろうか」。自分の人生に「よかった」と思えただろうか。そして、看護師として私たちはこれでよかったのだろうか、この人が望むことをしてあげられただろうか、と。

人は生きることの大切さ、命のはかなさを教え、命のバトンを渡して去っていく。
私たちも、いつかバトンを渡していく。
命はかぎりあるもの。
受け取ったバトンは、次に渡さなくてはいけない。
それが生きるあかしである。
人はひとりひとつずつバトンをあずかっている。
それを次につなげるいとなみが、生きるということ。

田中さんの言葉は率直で飾りがない。だが、まるで詩のように、胸になんどもこだまする。

受け取った命のバトンは「必ず」次につながなければならない、という強い言葉は、メンバーひとりひとりのメッセージを想起させるとともに、新名さんの冒頭講演(「未来の子どもたちのために環境をととのえることがいまの大人の責任」)に呼応し、見事な締めくくりとなった。

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セミナー講師のマザーシップ 前川あゆさん
7期生チャリティーセミナー報告記
終始あたたかい雰囲気のなか進行した「セミナー講師デビュー☆プロジェクト」7期卒業生によるチャリティーセミナーもいよいよ最後の挨拶を残すのみとなった。拍手のなか登場したのは、もちろん前川あゆさん。
きめこまかいプログラムで若手セミナー講師を次々と育成し、その卒業後も講師にとって頼れる存在でありつづける、そのありようはまさに「マザーシップ(母船)」。

あゆさんはいつものような笑顔で話し始めた。
「セミナー講師デビュー☆プロジェクトを始めて、話し方や見せ方、ふるまい方、セミナーの構成や告知ノウハウまでいろんなことを教えていますが、私はいちばん大事なのは〈使命感〉だと思っています」。話したいことを話すのではない、得になるから話すのでもない。
人の、社会の役に立ちたい、と思うこと。それがなければ聴き手の共感を得ることはできない。

セミナー講師にとって最も大事な「使命感」。このことをあゆさんがあらためて強く感じたのは、東日本大震災がきっかけだった。それまでも父上の死、友人の死で「人ってあっさり死んじゃうんだ」「人生は想定外のことが起こるんだな」と感じていたが、この大震災によるダメージは想像以上に大きかった。
まず当然のことながらセミナーが開催できない。次々とキャンセルが入る。何か書きこめば叩かれる。看護師など専門技術をもった知人たちは現地でボランティアを始めたが、そうした技術も知識もない自分は行っても足手まといになってしまう。自分も何か動きたい、被災した人の役に立ちたいと思っても、何もできない自分が悔しくて、無力感にさいなまれていた。
そんなある日、友人にこんなことをいわれた。「関西の人までふさぎ込んでいたらダメよ!」 ふさぎこむよりも、自分に何ができるかを考えなさい、と。

あゆさんの心に垂れ込めていた黒い闇から光が見えた瞬間だった。

失われた命を悲しむのでなく、残された人に与えられた役割、使命を考えよう――私たちにできることは、これまで「やってきたこと」。セミナー講師となるべく自分を磨き、いまこうしてこの場に立っている自分たちにできることは、セミナー講師として社会の役に立つことだ。
そう、私たちは、微力ではあるが、無力ではない。このスローガンのもとでチャリティーセミナーがスタートしたのが、昨年5月のことだ。そして今年11月、今回のチャリティーセミナーではまた、おのおののメンバーが「命のリレー・家族の絆」をテーマに自分でしかできないという使命感をもってセミナーをなしとげた。

あゆさんは来場者全員に感謝の言葉を述べ、最後をこう締めくくった。「使命感をもつ講師を育成することが、自分の使命だと思っています」。

話のうまい下手ではない、笑いや演出よりも大事なものがある。講師としての原点をいまいちど思い起こし、身の引き締まる思いがするとともに、「Shuka」で学んでよかった、と心からの喜びを感じさせてくれるお話だった。

・・・(取材・文 鈴木淑美)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




7期生チャリティーセミナー報告記
素敵なプレゼントが当たる「抽選会」も
大変盛り上がりました。

















さいごに…
特別講演 2期卒業生 泉ユミさん


・・・(取材・文 鈴木淑美)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7期生チャリティーセミナー報告記もうおひとりの特別講師は、ママと子どもが一緒に参加できる簡単料理教室主宰の泉ユミさん。
料理ブログは子どもたちが大好きなデコレーションを施したパンや簡単おつまみ、がっつりおかずなど、工夫を凝らしたレシピで人気がある。

お嬢さんは12歳。小学校6年生だった。「だった」――お嬢さん、沙希さんは今年8月12歳3か月で他界した。先天性の心臓病で3度の手術を乗り越え、一見普通の子どもと変わらない生活を送ることができるまでになっていたが、ウィルス性夏風邪により敗血症を発症したのである。

悲しみから立ち直りきれず、死を受け入れられないなか、今回は「娘が生きた証を伝えたい」と特別講演を引き受けてくださった。

「私自身、小さいころから、将来子どもが生まれたら一緒に料理をしたいと思っていました」。
冒頭、しぼりだすような声でそういうと、ユミさんの目に涙があふれた。ひとりめに授かったのは男の子。
そしてふたりめに念願の女の子。ユミさんはどんなに嬉しかったことだろう。

ところが医者から告げられたのは思ってもみない現実だった。「心雑音が聞こえます」と。耳を疑った。つけられた病名は心内膜床欠損症(不完全型)。「でも育てている間は泣いてはいけない、自分がママを悲しませていると思わせたくない」と強い意志で誓ったという。

それからは入院・手術の繰り返し。小学校2年生までは年に一度は入院を余儀なくされた。そのうち少しずつ状態も安定し、友だちと一緒に学校生活を楽しむ姿が日常的に見られるように。
ユミさん自身、気持に余裕ができたのか、「そろそろ会社を興そうかな」と前川あゆさんに相談する約束をとりつけた。まさにその日のこと。沙希さんは腹痛を訴え、救急車で病院へ。治療の甲斐なく、短い一生を終えてしまった。夏風邪で免疫力が落ちていたのが原因だった。

ユミさんは沙希さんの病気のこと、闘病のこと、最後の日のことを、細かい電話のやりとりにいたるまで、ひとつもいいもらすまいとするかのように語った。正確さにこだわったというよりは、ユミさんにとって、そのひとつひとつ、一瞬一瞬の出来事が沙希さんの生きた証なのだ。

7期生チャリティーセミナー報告記沙希さんが書いていた「ママへの手紙」。そこには母への感謝の思いがありったけの言葉でつづられていた。「ママが長生きできますように」――ユミさんはもう泣かなかった。

沙希さんは友だちにも感謝の言葉を残していた。作文にこう書かれている。
「学校のみんなに感謝しています。(・・・)私がしんどそうにしていると声をかけてくれます。私は声をかけてくれるみんなにとても感謝しています。本当にみんなに感謝しています。みんなありがとうといつも思っています」
この作文はコンテストで最優秀賞に輝いた。
ユミさんはいう。
「助けてあげるとこんなに感謝の気持を生むんだってみんながわかってくれるといいと思います。ほかの子に優しくするってこんなにいいことなんだ、と伝わったら・・」

ひとを助けて、助けられて。かかわりあうことで、生きた証は人々の心に永遠に残る。ユミさんはあらたなミッションをしっかり受けとめた。沙希さんの思いとともに、一歩一歩、前に歩んでいかれるはずだ。

星月夜 泉のほとりはきよらかに。

・・・(取材・文 鈴木淑美)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


つらい体験を語ってくださった泉ユミさん。
セミナー後、ご本人から以下のような感想と追加のメッセージをいただきました。
ユミさんのご了解を得て、ここにご紹介させていただきます。



7期生チャリティーセミナー報告記
泉ユミです。
チャリティセミナーに、参加させていただき、本当にありがとうございました。
このタイミングで娘が亡くなったこと・・何か意味があるに違いないと感じています。

話が飛んで飛んで、途中何話してるのか分らなくなってしまい、肝心なことを伝え忘れていたのでこちらにて追記させていただきます。

娘は、生後4か月の終わりに風邪をこじらせて自発呼吸できなくなったので、急きょ5か月で根治手術を受けました。そのあと体調がよかったのもつかの間、11か月で入院、1歳2か月で僧帽弁の人工弁置換をすることになりました。

そして幼稚園を年中から行くことになって通うも、1週間で手術に控えての自宅待機。
人工弁を入れたことにより、周りに肉がついて盛り上がり大動脈狭窄になったので、僧帽弁の成人用人工弁の入れ替え、大動脈弁の人工弁置換の手術を8月に行いました。

手術の前と、一年後にはカテーテル検査があり、普通の子なら3~7日で済むところ、人工弁を入れているためワーファリンを飲んでいたので、ヘパリンに切り替え→戻すということが必要で、入院生活は2か月前後かかりました。

このように2年生までは年に1度は入院していた娘ですが、それ以降は特に大きな問題もなかったので、今回夏風邪で免疫力が負けてしまったのはとても残念でした。

長くなりますが、本の紹介もさせてください。

同時期に入院していてお友達だった、朝陽ちゃんという女の子がいました。
娘よりもかなり深刻な感じで、入退院を繰り返していましたが、9歳で治療を断念し、天使になりました。

その生きた証を、病院に来ていたヘルパーさん(?)が本を出しました。
世界仰天ニュースにも紹介され、感動を呼びました。
『朝陽いっぱいのありがとう』という本です。
一生懸命生きた朝陽ちゃんは、病室で勉強も頑張り、娘にも優しく接してくれて、姉御肌な感じの女の子でした。

去年、同じ病名で、完全型(娘は心内膜床欠損症不完全型)のお友達が大人の人工弁に入れ替える手術の後の予後不良で亡くなりました。彼女も12歳でした。

今天国で、みんな仲良く天使として、私たちを見守ってくれているのかな?
楽しく過ごせているといいな、と思います。






7期生と前川あゆ

7期生チャリティーセミナー報告記







7期生チャリティーセミナー報告記




「売れるセミナー講師になる法」前川あゆのインタビュー

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